1億万本の花を贈る
八月二十二日あまりにも空が高くて目がくらんだ。いつかわたしにくれた桔梗が庭の隅っこで咲いている。ずっと伸ばしていた髪をきった。あれは六年もまえのことだ。わたしの髪を結ってくれる時間がとても好きだった。町を歩けばなまえを呼んだ。心のなかで呼んでいた。人は人を忘れるとき1番はじめに忘れるのは声だよとわたしに教えた人の声をなくした。次に顔を。最後は思い出だそうだ。あの日付はいつだったろう。飛行機雲が空に走る。あまりにも空が高くて目がくらんだ。泣けばよかった。なりふり構わず泣けばよかった。わたしはこの先ずっとわたしの1番をなくしたまま生きるんだ。暮らすんだ。
夕方をすぎて雨がふる。ふった。ふりつづいている。
何かしらの痛みを求めているとしか思えない。
今さらむかしをほじくり返して土にかえったかを確かめているなんて。
かえるはずがない。ずっと記憶から抜け落ちてはあわてて拾って大切に仕舞ってきた。
好きだったうたを口ずさむ。土曜日の神さま。最近思い出すことがふえた。
バイオイルで傷が消えたと姉はいった。ほんとうだよ。ほらここ、と指差した先には
ほんとうに消えかけてうっすらとした傷跡になっていた。
わたしも消えたならもう一度はじめから なんて都合のいい夢ばかりみている。
終わりのない文章が好きだ。
降り続いた雨は弱くなりつつある。もうすぐ止むだろう。
何かしらの痛みを求めてわたしはまた、まだ文章を書いている。